ちょっとマニアックな話

平郎門の修理工事(7)

2010.05.08

平郎門の修理工事(7)

1962年4月4日の写真では眉石の設置は未だ行われておりませんが、1962年4月12日に新城徳祐、山里銀造の2人が今帰仁城城門検査に現場へ行った折には既に眉石は設置されていたことが、新城氏のメモからうかがうことができます。

このことから最初(平郎門の修理工事1)に紹介した写真は、4月の4日から12日までの間に行われた作業であると考えられます。

先にも紹介しましたが、私は1997年12月16日この工事の現場監督であった上間幾一(大正6年生)さんから、直接お話をうかがう機会をいただいたことがあります。

氏が請け負った工事は、(1)階段の整備工事、(2)平郎門の修復、(3)大隅の城壁修復などです。門と石畳のずれについては紹介したとおりなので、ここでは門の眉石についてのコメントを紹介してみたいと思います。

「平郎門の上にのせた石は平郎門の近くに落ちていたのではなく、確か監督していた人がもってきたのだと記憶している。」とのことでした。

確かに起工式の写真(前掲(6))には、それらしい石材は門周辺には見あたりませんが、4月4日の写真では門の手前に大きな石材が用意されていることがわかります。

また、氏は工事に使った道具(この場合この門の修理工事に限らず(1?3)の工事で使用したものだと思われます。)を、今帰仁村歴史文化センターに寄贈したと記憶しているので、文化センターではそんな歴戦の道具にも出会えることと思います。

さて、本日紹介する写真はその娘さんより提供いただいた資料です。

かわいい子どもの写真です。ファインダーを除く目がほころんでいるのが想像できるステキな一枚です。背景になっているのは平郎門、松が2本、売店、休憩していると考えられる作業員さん、作業員さんが腰掛けるのは平郎門の眉石の石材の一つであると考えられます。

4月4日の写真に比べると少し積み上がっているようなので、4月4日の撮影後から数日程度あとの写真なのでしょう。

眉石積み上げの大仕事を前に、和やかな一コマの写真として大変印象的な写真です。

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