主郭で恒常的に生活が営まれていたのはおそらく1609年までと考えられている。それは文献が伝える薩摩侵攻の時期となる。そして実際の発掘調査においても17世紀代の遺物はほぼ皆無であることからもうかがえる。
この時まで建てられていた建築物は、発掘調査前からみつかっていた礎石建物跡である。
写真は発掘調査完了時の写真で、火の神の祠の周辺に大きな石が碁盤目状に並んでいるが、これが4期の礎石建物跡である。この建物が建築されたのは15世紀中ころから16世紀までの間と考えられている。おそらく監守の居宅と推定されており、発掘調査時に基壇ぎりぎりに建物が配置されていたこと、東側に石敷がみられたことなどから、建物の入り口は東側にあったと考えられている。これには異説もあるので、まだまだ検討しないといけないことも多い。
以上、これまで全10回で紹介してきたような時代の変遷などを踏まえたうえで整備された主郭では、下の写真に見るような説明板が配置され主郭全体の歴史的変遷をわかるように工夫されている。
ただ、整備より約20年を経ており、少し雑然とした仮設物が増えてるので、今後はこれらを撤去してよりお客様が快適にかつ遺跡が傷まないようにする工夫が必要であろう。
調査完了時の主郭全景
案内板を見学する親子
整備完了時の様子(1)
整備完了時の火の神の祠