東アジアを舞台に広範な活動をしていた交易船の航跡を示す資料として、碇石と呼ばれる石があります。
有名なのは元寇の際に元軍の軍船に使用されたことが知られており、博多湾や神風にあって多くの船が沈んだとされる鷹島海域でしばしば引き上げれれています。
参考までに福岡市埋蔵文化財センターのHPでもその装着の様子がご覧いただけます。
http://inoues.net/museum2/fukuoka_maizou.html
南西諸島では、事例は1996年に當眞嗣一氏によってまとめられています。
沖縄では3本、奄美地域では8本発見されています。
最近でも徳之島で海底から発見され、現在も海底にある3本が確認されています。
形態的には角柱対象形の資料が奄美大島〔写真上〕、久米島(写真下)、沖縄本島などの陸域で保管されています。
また龍郷町のイカリ浜採集品(写真)とされている事例は角柱形で碇石としても最大規模を誇る事例で特徴的な資料となっています。
また、糸満市の道脇に石敢當に利用された製品、沖縄県立埋蔵文化財センターの調査で瀬底島沖から引き揚げられた琉球石灰岩を使ってつくられた碇石(写真)など、地元でも碇石をつくっていたことが分かっています。
碇石は宋元時代の中国の船に用いられた船の道具で、これが南西諸島の島々で発見されているということは、これを積んだ船が往来したことが想定されています。
陶磁器の話ではありませんが、船の往来した様子を知ることができる貴重な資料なのです。
糸満では石厳当としてこの石が利用されていました。また、恩納村では井戸の縁石として利用されています。
もしかしたら、みなさんの近くにもこんな、不思議な形をした石があるかもしれません。
その時は是非ご一報ください。歴史を変える大発見につながるかも・・・・