1961年の起工式の翌年、1962年の1月に何度も新城徳祐氏が訪れ、また城門の修理工事で打ち合わせしている様子を氏の手帳から読み取ることができます。
手帳には
「1月18日北山城工事指導」
「1月30日北山城門工事責任者上間幾一君来所、工事打ち合わせをなす」
などと記されています。
また1962年2月22日には城門基礎検査とあり、新城・山里・上原とあり、山里は恐らく琉球政府文化財保護委員で多くの仕事をした建築家山里銀造氏と推量されます。山里氏による北山上復元工事の設計図が今帰仁村には残されていて、こちらも貴重な図面となっています。
前年9月に作図されたものであることから、工事前に先だって設計図が作成されていたことを知ることが出来ます。
そのうちの1枚を添付して今回は紹介します。